20代のころは私は本当にメチャクチャな生活をおくっていました。
無意識の心理のなかに存在する、、、
「君には価値がないんだよ」
「幸せなんて似合わない」
「自分を殺してでも誰かの役に立たなきゃいけない」
という強烈な観念をもっている自分に気づかず荒れはてた生活をおくっていたのです。
人は毒親やその他の存在から植えつけられた劣等感であっても「自己の存在」を否定しつづけていればいつかは過酷なアクシデントにぶつかり「等身大(本当の器)」の自分を問わざるを得ない状況をむかえます。
「なんとかココで踏みとどまって、そろそろ幸せを本気で目指さないのか?」
しかし私はその本質的な問いかけを無視して逃げまくりました 。「価値がない」と思いこんでいる自分をあるがまま見つめたくなかったからです。
真実が怖かったんですね。
そして逃げまくった結果あらゆることがうまくいかなくなり、「生きていても、なにも面白くない。
こんな人生がずっと続くなら死んだほうが良いかもしれない」という極限の心理状態まで陥り、とうとう自殺を考えるまでに至りました。
最悪なことに自己否定を誤魔化すための行動はすべて劣等感の増悪につながってしまうのです。
さらに自分が深刻に悩むだけではなく、大切な人をたくさんたくさん傷つけて後悔しまた傷つけるという生き方しかできませんでした。
大好きだった美容師の仕事も行けなくなり、生まれたばかりの子どもがいるのに家庭の幸福に集中できない。
夢や目標もなくただ「快楽を得て一時的に劣等感を癒す」だけ。
唯一、良かったことはお酒やギャンブルにたまたま興味がなかったことです。
その当時は「強烈な劣等感」「徹底的な自己否定」「幸せを自ら遠ざける間違った観念」を自分以外の存在から植えつけられていた事実に気がついていませんでした。
仕事を放棄し家庭を顧みない姿勢を続けていれば、人生は確実に破壊の方向へむかいます。
私の心と家庭は完全に壊れ切っていました。
そして愛しているはずの存在も壊して生きてきたのです。
かなり業が深い人生を体現しました。
未熟は決して悪いことばかりではありませんが、やはり人に迷惑をかけてはいけません。
ましてや、自分を慕ってくれる人を傷つけてばかりの日常では・・・。
しかし不誠実極まりない私でも献身的に尽くしてくれる妻の存在。父親としての責任や役割を必死で逃げようとする私でも慕ってくれる息子。
献身的にサポートをしてくれる人たちのためにも、なんとか変わらなければならないという一縷の想いだけはギリギリ保っていました。
今は心理カウンセラーとしてご相談を受けておりますが、すべてはサポートをして頂いた方のお力があったから今の私がおります。
紆余曲折しながらも、家族や支えてくださる方の繊細で力強いサポートを頂けたことで、私は自分の人生と家庭の幸せをやっと本気で目指す決意をしました。
それが今から14年前になります。
ただ「人生を取り戻すぞ!」と気持ちが高ぶっていても、なにから始めれば良いのかまったくわかりません。あせるばかりで未熟な自分は依然と変わらず、また快楽を求めたい気持ちがわいてきます。
私はそこで一度立ちどまり、深く考えました。
「自分の人生がなぜこんなにも不幸で楽しくなく、人に嫌われてばかりで愛しているはずの存在を傷つけているのか?」と自分を内向(あるがまま見つめる)したのです。
自分一人の時間を沢山もち、悩み、考えつづけました。
とことん出た答えは生きづらい人生の原因はやはり親子関係にあったのです。
私はやっと気づいたのです。母親が大好きでたまらなかったという事実に。
そして大好きだった母親から徹底的に劣等感をあたえられたという真実に。
私に「そのままでは生きてはいけない」「あなたには価値がない」「誰かの利益になるあなたにならなければいけない」と洗脳をしたのは母親でした。
母親は常に「誰かと比べて私の劣等性を示す」「責任問題が直面すると逃げる」「世間の評価を恐れ子どもを縛る」などの行為をずっとやめられませんでした。
まだまだ深刻な行動はたくさんあります。
今考えれば容易にわかりますが、母親は毒親です。父親は毒親ではありませんが、母親に頭が上がらない位置にいました。
母親は私に「あなたには価値がない」という意識(言動や体罰など)無意識のメッセージ(表情や意識)を私におくることで自身の劣等感を一時的に癒していたのです。
この行いは典型的な毒親性を示しています。
さまざまな問題が私と母親の間にはありましたが、重要な点は「過去にうけた母親からの精神的な虐待」「母親自身が毒親であること」ではありません。(もちろんそれは苦しい事実ではありますが)
最大の問題は母親の影響をうけて、私が「劣等感を患い社会でうまく生きられない問題」なのです。(もちろんすべてが母親の責任ではありません)
そして私の家族(妻や息子)の目の前で笑いながら「あなた(私のこと)は昔の男を忘れるために産んだんだ」などの軽率な発言を繰り返す母親と、そのような人間性の低い存在と密接につきあってばかりいる問題でした。
完璧に私に根づいている「完全な自己否定」と「家族の幸せに集中させない存在(母親)が側にいる」という二つの問題解決がなによりも重要と確信したのです。
幸せに生きるためには「自己肯定を育む」と「家族の幸せを本気で進められる環境」が必須だったのです。
しかし気づいた日からが本当の戦いでした。
なぜなら私は「劣等感の克服法」も「家族の守り方」も知らなかったからです。
知るためには勉強しかありません。
自己啓発セミナーや自助グループの参加も悩みましたが、結局、私が未来を託したものそれは「先人からの知恵」つまり書籍でした。
36歳(2018年4月時点)になる私は10年間をかけて「親や不誠実な存在からあたえられた不要な価値観の手放し方」「家族の本当の意味での守り方」など、2万冊以上の書籍と師から学び獲得していきました。
【自己肯定(自分を感じる)】
→【自分に内向し見つめる】
→【不要な価値観を手放す】
→【新しい考え方を学ぶ】
→【行動・実践する】
→【結果を受けいれる】
→【自己肯定感が手に入る】
→【知恵が手に入る】
→【どんな自分でも愛する】
永遠、この繰り返しでしたので私は10年間のなかで家族サービス以外、一日も遊ばずに生きてきました。
劣等感の克服(心の解放)と家庭の守り方にこだわり「勉強」→「実践」→「結果」→「継続」だけでした。
言葉で説明をすれば非常に簡単ですが完全に自己を否定している精神状態で上記の流れを実行することは非常に難しいときも多々ありました。
しかし私は諦めませんでした。
【自己肯定】【幸せな価値観のとりいれ】【実践】【継続】するかぎり必ず未来は明るくなると信じていたからです。
もちろん、自分以外の支えを頂けたから続けられたことです。
今が完璧に幸せかと聞かれれば、やはり完璧とはいえません。
まだまだ未熟ですし、もっともっと幸せになりたい気持ちがあります。
しかし15年前と比べてと聞かれれば、100億倍は幸福になったと断言できます。
15年前の苦しみが今ではウソのようです。
あの当時、最悪的に苦しんだ問題は幸せな形で消えていきました。
もう私のまわりに毒親はいません。そして私を苛める人もいません。冷やかしたり嘲笑したりする人もいない。
いてくれるのは私を真剣に愛してくれる人だけです。
本橋良太の職歴(18歳~43歳まで)美容師・葬儀会社・郵便局員・経理・牛乳配達・専業主夫・ライター・障がい者施設で事務員 現在の心理カウンセラーに至る